往還=往復  鐘つき31年  お寺と我が家の往復

1982年2月10日当日は朝の寒い日であった、雪が5センチぐらい積んでいた、その日から先の見えない鐘つきが始まった、何の目的もなく只8つの鐘を撞くだけ、毎日が過ぎた明日があるから夜に寝て朝が来たから鐘つきに行く。年齢は生まれた時から数えて死ぬまでが蓄積される、鐘は撞いたときに何も蓄積されない、音、時、積んでも足しても何も見えない、何年前からか、何十年前からかまたは途中中断したとしても、といっても証拠は全くない、自分はその間全く記録はしていない、でも自分には朝の6時に鐘を撞いたことは記憶にある。しかしそれも今朝撞いたことが鮮明に記憶があるだけのことです。