2013-01-01から1年間の記事一覧
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久しぶりに書いて見る事にする。夏の暑さはもう忘れた、今日は室内でも17度上着を厚つての物にしなければ寒い、秋の季節感がない状態のようであった。柿の実はボトボト落ちた、柚子の実は早く色付き、いずれも味がよくない、我が家の柿の落ちるのはカメム…
手を合わせて戴きます、なんのことは無いただそれだけ。 今週のお題「2013 日本の夏(お絵描き)」
天気の不安定のことに一々文句は言えないが、寒さ暑さは有ることだから已むを得ません。 周りが田んぼの準備も終わり近づいてきた。既に伊良原方面は田植えがピークになっている 1年の周期はその時の仕事の都合によっては早くも感じ遅くにも感じる。人には…
5月4日は引き続き上伊良原の神幸祭のお神楽に7時30分に集合する、今年は娘さんたち2人が居ないので、豊津の原田定勝さんに応援を求めたので良かった。みやこ町の無形民俗文化財に相応しい奏楽も気を入れて、伝統を守るべく努力しなければならない。翌…
5月4日は城井神社から下伊良原へ神主の後を追うように行く、新しい社殿の神幸祭少し緊張はやむを得ない、気分は特に心配することはない、勝手知っての我が家まではいかないが楽しい神幸祭になった。しかし一寸残念なのがお神楽が開けなかったこと、事情が…
5月4日午前10時自分の氏神様の鎮座祭。850年の長い現人(宇都宮大明神)『宇都宮家初代)』の御霊の神社と古来からの氏神様の合祀の祭典が厳かに執り行われた。自分は祭祀の手伝いの役割として参加した。神官は次に行われる神社に行かなければならな…
5月2日3日は神楽の練習に励んだ、自分の練習はもとより、若い衆にも一緒になってお世話も助言もやる。自分のポジションは横笛(篠竹の)の奏楽である、現代自分の住んでいる氏神さまの奏楽も約30年間に及び奉納をしてきた、1年間に最低10回の祭典が…
自分の住んでいる所は何の変哲の無い我田引水型、極々自己満足型の純情な地域である。であるが故に、周りの事、もっと言えば社会のメリハリには関心がない、取り残されては文句は言う、たとえば、バッタを追って、バッタが逃げてから逃げた事を他人の所為に…
世はグローバル社会、その中のIT産業による文化の変化も当然猛スピードで変化している、自分の人生の中で社会の構造が崩壊していく様な日々であると感じ始めて、とうとうここまで来たか。と思うことを少々綴ってみた。しかし決して悲観すべきでない地区も…
纏まった。話は簡単で誰が考えても無理な話ではない。ところが人の心は此れほど違うかとつくづく思う、話にならない、返事はしても実行が出来なければ、残念ながら全く約束事が進捗しない、責任をどう感じているのか、だれの責任なのか、何といっても時期を…
人が集まれば面白い、誰かが話をする、その話にヒントが出る次から次えと色々な人が思いを語る、これ井戸端会議、十分に話の内容は筋の通った会議、リーダーがいないのがまた面白い、これまさに井戸端会議である。どうしても過去の経験を引き合いに出す。此…
あなたの痛みが良くなったのは、医者と何かが良く遇ったのだろう、だ、なんて話になってこの手の話は終わる。しかしたまたま何がその医者と遇ったのか、ある人は合わない人も居る。そこで合う合わないの話は途切れるのである、自分だけの見解で物事を収めた…
生まれて三十三日の宮参り、田舎は特に神仏を大事にする、当然ながら田舎は現在でもその習慣は守られている、仏の道を踏んで生涯を暮らそうと思えば、他の宗教には迷ってはいけない筈である、だから自分は神様を信仰として生きている心算はない、日本の神様…
わざわざ自分の顔を写真でオープンにしなくてもよかろうに、と思ってはいたがやってみればそんなに違和感はない、この顔がこのアプリの続く限りに続きたい。人の顔は嘘のない顔であること、自分がいつもいつも見ることで責任を感じることで有ろう。
現在の、即ち今、楽しいがある、若者の方々の集いに参加した。有意義な世界だった。私は幸せだ。だって今が此処に有るからだ、と思っている、さっきまで飲んだり食べたりして自宅に帰りました。相当のパワーをもらったよ。光ファイヤー、スマートフォン、タ…
車で3台の分乗、上川底の廃校の森の学校、求菩提の卜仙の卿、資料館『休管日』石楠花は6分咲きであった、塞田の城井の城跡の入り口各種観音像を見て。一挙帆柱の蛇淵の滝等を見て一路行橋へと帰る125キロメートルであった。みんな其れどれいい感触であ…
早朝より地区のゴミ分別の当番に出た、久しぶりに会う人、皆さんの健康な姿に会えた、1時間で役目を終わり帰宅する。それから入院中の病人の検査結果を担当医師から説明を聞きに行く、望みの無い状態であることを聞くとやむを得ない、故に非常に塞ぎ込むの…
自分は昔の神仏混淆とは違いますが先祖の習わしを今でも我が家は続けているが、別に違和感が有る訳でもない。不思議なことに神様、仏様、二つの宗教をごく自然に自宅に祀っている、自分流では神は自然発生した我が国民族信仰で良いと思う、一方仏教は宗祖親…
見渡す限りに桜の雲に覆われて居た、雨の重さと風の強さに飛ばされた花弁は一夜も持たずに消えた。桜の花弁がせめて、たとえ三日間でも精一杯樹に付いて居たかっただろう、一年を通して満開の花を一瞬で終わらせる運命の花は何の為に咲かせたのだろうか、い…
みやこネットの立ち上げからどの位になっているのか知らないが、9人で始まったが結構いい話の持ち方だった、個人のモチべーションの強調を大切にして聞き役に回って会議の進捗状況に合わせて会議の進め方をよく調節していた感じだった。初対面の会合として…
お寺様のお御堂で花祭りの行事を行いそのあとは公民館で餅まき、地区の皆さんが演芸会や歌などの出し物で大賑い、お弁当とお酒などで其れどれが楽しい一日の親睦会になった。一言でいえば簡単であるが、これらの行事をやるには準備からがいろんな事が沢山積…
大勢人が住んで居る所は当然出会いが多い、人の世の社会に人がいなければ出逢いはない、ブログ、FB、ツイッター皆出会いがある。しかし相性が悪ければ出会いとはならない、只、顔や目を見ただけで出会いとはならない。それはただの物として見ればいいのであ…
油断をしては大変だ、花の早いのについつい浮かれて自宅の周りの雑草の伸びたのに気付かない、早速草刈り、まだ間に合ったが固くなるとそれだけ余計に手間がかかる、早過ぎても良くないがこんなものは少しは早い方が良い。環境問題が叫ばれてからは久しい、…
特に目的もなくカメラを手に持っていたから一寸写してみようかな、飾り気もなく只写真を写す、一人で遊び心になっている、たまにはこんな事も有りか、仏壇は真宗大谷派お東である、黒塗りに金箔のコントラストはお西と比べると彩としては落ち着きがあるよう…
手の届く花、手を差し伸べても届かない花、心に残る花、そうでもない花、今年の花々は綺麗に咲いた自然のまんまだが実が着くだろうか、人工授粉は人が気候と温度の兼ね合いをみて受粉の手伝いをするが、昆虫たちの力を借りて自然受粉は気候の関係では如何と…
散りそうでなかなかそうはいかない
自分のエリアがおのずと決まってくるが、その代わりに多少手が抜けない、草の多いところに行き充てる、ところが自然と夫々の人が自分のエリアを選ぶ、その人その人の人格と気質が其の辺りではっきりしてくる、昔からその手の気質は変わらない長い間地域に住…
今現代では酸性雨をどのように見ているだろうか。数十年前には農薬とかで山の中まで昆虫や微生物が死滅したかの如く騒がれた時代があった、何故か最近では全くこの種の問題が目に入らない。社会と言うものは目に見えて誰かが被害が目立たなければ知らん顔を…
すべての植物に新芽が芽吹くと何やら体に異変が起きるような気がする。不思議な予感の中に空気の意気(息)詰まるような微妙な体感がある。理屈を付けるとすれば、1、空気がはたして純であるか、2、酸素が普段の濃度であろうか、3、葉は栄養を吸収しない…