60年の長きに亘りようやく完成した伊良原ダムの今後の姿を見守り続けたい
感想 地域場所の選定から、完成までの紆余曲折は人生の歩みと同じのようなものであるが、人は生まれる場所は本人は知らないが、産む方の親は知っている、場所を選ぶことは可能である、その親が居ってこそ次世代が続くことは極当たり前である、ダムが違うのは生みの親がいても、子(ダム)は一人では育たない、生れ乍らにして役目は決まってる、人間は産まれてきてから初めて役目が決まる長い年月をかけて。
感想 地域場所の選定から、完成までの紆余曲折は人生の歩みと同じのようなものであるが、人は生まれる場所は本人は知らないが、産む方の親は知っている、場所を選ぶことは可能である、その親が居ってこそ次世代が続くことは極当たり前である、ダムが違うのは生みの親がいても、子(ダム)は一人では育たない、生れ乍らにして役目は決まってる、人間は産まれてきてから初めて役目が決まる長い年月をかけて。
子供たちが楽しく植えた稲は無残にも90%は食べられた、電柵をした儘にして1週間後がこの有様、彼たちも食料の確保に必死である姿が伺われる、
インドの現地では今着々と復興の姿が現れている。10年も経てばもうあの恐怖はうすらいている。それはそのはず一昔である。現場の実情は様々でしょう、
地震が無ければ普通の暮らしがあった。同じ自然の発生で災害を被った方々にはお気の毒です。先進国日本では原発により恩恵を受けて居た人たちが原発により被災している。此処が大きく異なる。私は日本の片田舎で生活をしている、インドの田舎程ではないかと思うが、人がより良い得を求めて暮らすことは必須だろう。しかしかと云って損をしたら他の者の所為にすることは諦めが悪い、自分は生まれながら田舎で、文明の明かりも知る機会の無い儘暮らしてきた、国民の義務として納税もしてきた、宿命として生きて、運命を辿り、自分の今を生きることが第一だと思う、被災地で再起しているインドの一人が言っていた、『神』のみ知っていると。神はどうかな、として、宿業の成すが儘、現実として受け止めることだと思う。
梅の実が殆ど落果した、シカ達が毎晩しっかり食べて種も残っていない、全部採れば50kgは十分あったであろう、毎日のように殆ど拾って食べてくれた、特に今年は妨獣ネットで囲いをした為に集中的に寄ってきたようだ。
久しぶりに書いてみることにした、ナルタキの滝が周囲の老木などで荒れている。
手入れをしないので付近の大木も枯死すると悲しい。
滝の水は勢いよく落ちていた、水量が多いときは景観がとても素晴らしい。
夏の涼を楽しむも良し、ちょっとした癒しの場所である。